夜空はいつでも最高密度の青色だ 2018 1/18

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監督、脚本  石井裕也

原作 最果タヒ

出演 石橋静河池松壮亮、他

 

映画館 新宿ピカデリー

4:20〜

 

 個人的点数板

49/100

(100点満点中49点)

 

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再放映の最終日、新宿ピカデリーへ観に行った。

この映画のざっとしたあらすじは、一見なんの繋がりもない看護師でガールズバーで働く美香と日雇い労働者の慎二のダブル主人公でのお話だ。

この映画は舞台が東京。トーキョー。

まずこの映画は今まで観た邦画の中でも異質だ。1番の特徴はガヤと静(せい)を使い分けているというところ。常に大きな音で街中の、人が喋るガヤを入れることで東京のうるささ、煩わしさを表現してるのよ。そして静(せい)。ガヤの中でふと急に静かになるの。これは主人公の心の中。街中の喧騒に対してふと静を入れることによって、大都会東京と主人公の心との壁をしっかり伝わるようにしてるってこと。

そしてスローモーションがちょいちょい入ってくるんだよね。自分の外への気持ちが無関心のとき、孤独なときって、街中がスローモーションに見えたりしない?私はする。このスローモーションを取り入れることによって、なんだろう、主人公はいつも東京を一歩引いた目線で見てるんだよ。孤独なんだよ。これは美香も慎二も一緒。

やっぱりこの映画は大都会東京と主人公の心の孤独がセリフではなくカメラワークで表せられてる。めまぐるしく回るカメラ。ちょっと酔いそうになった。それもめまぐるしくうごめく東京なんだよ。東京そのもの。

最果タヒという詩家の詩をまといながら進む物語。私も2年前に最果タヒさんの詩集買ってたから知ってるよ。現代の憂鬱の中から綺麗なものを探して取り出そうとするような詩を書く人だよね。

でも、ただちょっと映画はコテコテだったかな。少ししつこ過ぎた。味が濃いというか。あと、展開が早い。たまについて行けなくなる。これは私が鈍いだけなのか?チーン。

詩に囚われすぎなところがあったかなあ。ちょっとね、ちと。

そして登場人物が多い多い。いや、別に多くはないんだけど、脇役がほぼいないの。登場人物みんな一人ずつが主人公みたいでさ。みんな、いろんな事情を抱えてこの東京は回ってるんだなって思った。誰も知らずに東京は今日も回ってる。

慎二が部屋で寝っ転がりながらタバコに火を点けた。その火からぶわっと赤が広がり、段々と都会のビル群の街灯りに変わっていく。その演出が凄い綺麗だった。

美香と慎二がデートをしているところ。2人でカラオケに行って歌ってるシーン。慎二は緊張でガッチガチでYUIのcherryを歌う。その時にね、なぜか涙が溢れてきた。なんでだろう。別に感動的なシーンでもないのに。

ただ、観ていて、なんだかいっぱいいっぱいで苦しくなった。胸がいっぱいいっぱいで、涙が出た。

渋谷、新宿。いつも見慣れている街が舞台だからこそ身近に感じられること。その辺を歩いてる、なんでもない1人の人間の話。

そして、街角で「頑張れ、みんな頑張れ」と白いギターを弾きながら歌ってる女性がたびたび映るのね。誰も立ち止まって聴いてる人はいない。美香も慎二も、ありゃ売れねえなと。それで物語の終盤、最後に美香と慎二はその女性が宣伝トラックで宣伝されてるのを見かける。「メジャーデビュー!」と掲げて。

そして最後。2人は慎二の部屋の隅っこに座ってる。

美香が「朝までにニュース速報が来ると思う。何か起こる気がする。何が起こってもおかしくない。明日世界が終わるなら何する?」って。

それに慎二は「とりあえず、募金するよ」と返したの。そして朝がきた。テーブルに置いてあった小さな花が咲いていた。

物語はここで終わる。

こんな息の詰まる大都会東京の下、こんな世界だけど、少しは期待してもいいよね。

1ミリ、1ミリだけでも希望を見つけたよ。

これは某アーティストの楽曲の一部の歌詞だけど、「あなたのような人が生きてる、世界に少し期待するよ」ってことだと思うんだ。

 

映画が終わり、夜七時頃の新宿を歩く。さっきまで画面の中にあった街をいま私は踏みしめてる。今まさにすれ違っている人達は美香かもしれないし慎二かもしれないし、別の誰かかもしれない。

新宿の街はビルの明かりがキラキラしてて、今日も休むことはないんだと思った。